SEOはプレゼンテーションであると考えよう | 嘉門達夫「日常」

公開日:
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最終更新日:2016/03/01
SEO
オーバーオプティマイゼーション(Over Optimization )、過剰最適化という言葉がある。
実は私が嫌いな言葉の一つである。
SEOにおいて過剰最適化という言葉は避けるべきものとして語られるが、この言葉そのものが一つの矛盾なのだ。
オーバーオプティマイゼーションという言葉はではどういう意味で使われるかというと、検索エンジンを意識しすぎた対策を行うことによって逆に検索順位が下がるリスクを負ってしまうことを差す。
一般的にはスパム、あるいはスパムすれすれのSEOのことを差す。
最適化というものは、そもそもピッタリになるように合わせ込むことである。
足りなくても、多すぎても最適化ではない。
そして、SEOは検索エンジン最適化なのだから、多過ぎたら最適化とは言えない。
よくあるオーバーオプティマイゼーションの例としては、
「順位上昇を狙っているキーワードを多くしすぎる」
「共起語を過剰に埋め込む」
「アンカーテキストにキーワードを入れ込みすぎる」
「altテキストに画像で表現されている以上のテキストを入れてしまう」
「検索キーワードだけを変えてほとんど同じようなページを大量に作ってしまう」
といったケースが考えられる。
これらは「ちっとも最適化ではない」のだ。
言うなれば最適化の反対の行為であると言える。
・検索エンジンに本来以上の評価をしてもらおうとする
・本来検索キーワードでヒットすべきではないキーワードでヒットさせようとする
という一種のだましだ。
検索エンジン最適化というのは、
「ユーザーが100の価値があると感じるコンテンツに対しては、検索エンジンに100の価値があると認識してもらう」
ことである。
SEOはプレゼンであると思うととってもわかりやすい。
いくら価値があって素晴らしいモノであっても、プレゼンが悪ければ伝わらない。
プレゼンは重要なのである。
残念ながら現在のGoogleはユーザーが感じる価値を、正しく認識してくれないことが大多数だ。これを認識してもらうためにちゃんとプレゼンすることがSEOである。
過剰にプレゼンしすぎるということもあろう。
案件が欲しいから、採用してほしいから、といった理由で自社あるいは自分の実力以上に見せかけてしまうと後でとんでもなく苦労したり、迷惑をかけることになる。
オーバーオプティマイゼーションはこれだ。
SEOの本来の目的は集めるべきユーザーの来訪であるが、そのページに来たユーザーに対して落胆や失望を味わせることになる。
これは正しくない。
本来の力相応に近づけるようにプレゼンするのが正しい。
SEOもこれと同じだ。
自分のサイトは、ユーザーに対して充分な価値を提供しているのだろうか?
そして、その価値を伝えるのに充分なSEOを行っているだろうか?
と考えるべきなのである。
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